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曹洞宗 おたすけ観音 陽廣山報恩寺

TEL 0467-78-7160

〒252-1134 神奈川県綾瀬市寺尾南2‐10‐1

報恩寺について おたすけ観音SERVICE&PRODUCTS

歴史

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開山 朝岩存夙大和尚」

報恩寺は、慶長7年(1602)8月28日曹洞宗の寺院として開山されました。 御開山は朝岩存夙大和尚(ちょうがんそんしゅく)(1618卒)、開基は後藤右近(ごとううこん) 心宗永伝居士(しんしゅうようでんこじ)です。  御開山の朝岩存夙大和尚は、本寺 藤沢市遠藤の宝泉寺の六世であり、当山二世悦堂存怡大和尚(えつどうそんい)(1648卒)は宝泉寺七世になります、報恩寺の開山は小田原北条氏の家臣であったとも伝えられ、当山の末寺 大和の宗昌寺、寺尾の常久院の開山である、当山三世林室宗茂大和尚(りんしつしゅうも)(1648卒)は、師匠とその師匠を勧請開山とし三世になられたと思われる

   世代  名前  示寂  西暦  備考
   開山  朝岩存夙大和尚  元和四年五月十五日  1618  寶泉寺六世
   二世  悦堂尊怡大和尚  慶安元年七月七日  1648  寶泉寺七世
   三世  中興 林室宗茂大和尚  慶安元年一月十三日  1648  宗昌寺常久院開山 天正150901(1587)総持寺一夜住職
   四世  廓山怡舜大和尚  慶安三年一月十五日  1650  廓山 春(回向双紙)
   五世  舜外光尭大和尚  天和三年八月三日  1683  光幸
   六世  久岩賢昌大和尚  元禄十年三月二十日  1697  
   七世  両山霊重大和尚  享保九年四月十五日  1724  貞享2年1685松石11世
   八世  一峰圓龍大和尚  元禄十四年六月十七日  1701  
   九世  空門祖心大和尚  宝永二年二月十九日  1705  1683秋田最禅
   十世  祥丹宗瑞大和尚  亨保十八年十一月十一日  1733  
   十一世  繁山門榮大和尚  寛保四年一月二十九日  1744  59歳位牌近藤寛家に有
   十二世  興屋門隆大和尚  宝暦四年四月十八日  1754  熱海和泉潮音寺にて寂
   十三世  雪子玄肇大和尚  宝暦二年四月二十九日  1752  金毘羅大権現勧請 1748 從是 雪子代
   十四世  絶参是乘大和尚  安永四年十二月四日  1775  青松寺貫山和尚弟子 涅槃像 新調
   十五世  寶山印覺大和尚  寛政六年一月十四日  1794  
   十六世  雄山播英大和尚  文化七年十月二十八日  1810  
   十七世  達宗洞玄大和尚  文化八年十二月十五日  1811  
   十八世  應源観了大和尚  寛政三年一月二十日  1791  
   十九世  洞玄一乘大和尚  文化四年九月二十六日  1807  
   二十世  大雲観光大和尚  文政七年八月十二日  1824  
   二十一世  活玄提宗大和尚  天保四年十二月三十一日  1833  
   二十二世  一榮玄忠大和尚  弘化二年七月二十二日  1845  
   二十三世  玄海慧文大和尚  明治二年三月三十一日  1869  
   二十四世  玄榮忍超大和尚  安政七年十二月三日  1860  
   二十五世  天津玄乘大和尚  明治三十一年六月十九日  1898  
   二十六世  大賢文志大和尚  昭和十八年四月十五日 1943  
   二十七世  再中興 太嶽洞源大和尚  昭和二十七年九月十九日 1952    
   二十八世  重興 大源良興大和尚  平成二十九年六月四日 2017  




「金毘羅堂」

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 四世廓山怡舜大和尚(かくざんいしゅん)
(1650卒)の代、慶安2年(1649)御朱印八石を賜り、境内坪数1万8千坪(現在八千四百坪)、本堂七軒×十一軒、総建坪二百五十坪であった。  十三世雪子玄肇大和尚(せっしげんちょう)(1752卒)は金毘羅大権現(南側の御堂)を勧請されました。寺尾の金毘羅様は有名で小園には今も金毘羅道が残っています。


「おたすけ観音縁起」

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当山二十七世 太嶽洞源大和尚(たいがくとうげん)は、現役入隊で、台湾の正蕃征伐(せいばんせいばつ)に参加し、山奥の作戦中、早朝、一人で滝の前で座禅中、滝の中に観音様を排することができ「観音様がついていてくださるから、敵の弾に当たる事がない。」とかんじられた。激戦で戦友達が多く戦死する中で、無事に帰還出来たので、この有難い観音様を一人でも多くの方に拝んで頂こうと、観音石像を刻み境内に安置し、観音像を描いて、沢山の人に差し上げたので、「おたすけ観音」として、第二次大戦中は、県内を始め東京等から参拝の人達が続いた。



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「ほうおんじのいわれ」

八百年前 源頼朝が、旗揚げをしたとき、功績があった渋谷重国が、早川に住んでいたが、その子孫、渋谷重名が、この地に住んでいた頃、法音寺があり、約200年続いたものと考えられる。


バナースペース

おたすけ観音報恩寺

〒252-1134
神奈川県綾瀬市寺尾南2‐10‐1

TEL 0467-78-7160
FAX 0467-79-1567
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