報恩寺は、慶長7年(1602)8月28日曹洞宗の寺院として開山されました。 御開山は朝岩存夙大和尚(ちょうがんそんしゅく)(1618卒)、開基は後藤右近(ごとううこん) 心宗永伝居士(しんしゅうようでんこじ)です。 御開山の朝岩存夙大和尚は、本寺 藤沢市遠藤の宝泉寺の六世であり、当山二世悦堂存怡大和尚(えつどうそんい)(1648卒)は宝泉寺七世になります、報恩寺の開山は小田原北条氏の家臣であったとも伝えられ、当山の末寺 大和の宗昌寺、寺尾の常久院の開山である、当山三世林室宗茂大和尚(りんしつしゅうも)(1648卒)は、師匠とその師匠を勧請開山とし三世になられたと思われます。
四世廓山怡舜大和尚(かくざんいしゅん)
(1650卒)の代、慶安2年(1649)御朱印八石を賜り、境内坪数1万8千坪(現在八千四百坪)、本堂七軒×十一軒、総建坪二百五十坪であった。
十三世雪子玄肇大和尚(せっしげんちょう)(1752卒)は金毘羅大権現(南側の御堂)を勧請されました。寺尾の金毘羅様は有名で小園には今も金毘羅道が残っています。
当山二十七世 太嶽洞源大和尚(たいがくとうげん)は、現役入隊で、台湾の正蕃征伐(せいばんせいばつ)に参加し、山奥の作戦中、早朝、一人で滝の前で座禅中、滝の中に観音様を拝することができ「観音様がついていてくださるから、敵の弾に当たる事がない。」とかんじられた。激戦で戦友達が多く戦死する中で、無事に帰還出来たので、この有難い観音様を一人でも多くの方に拝んで頂こうと、観音石像を刻み境内に安置し、観音像を描いて、沢山の人に差し上げたので、「おたすけ観音」として、第二次大戦中は、県内を始め東京等から参拝の人達が続いたといわれています。
八百年前 源頼朝が、旗揚げをしたとき、功績があった渋谷重国が、早川に住んでいたが、その子孫、渋谷重名が、この地に住んでいた頃、法音寺があり、約200年続いたものと考えられる。
観音堂 |
観音堂にお祀りされているお観音様は、徳川家の菩提寺で、芝の増上寺にある観音社の了無和尚がこの地へ隠居されており、了無和尚の姉が、桂昌院に仕えて恩遇を蒙ったので、菩提供養の為、お位牌を安置しました。 昭和16年厚木飛行場の建設に伴い、蓼川地区の報恩寺檀信徒の信仰の対象ともなっていたご縁もあり、報恩寺の境内に移転されました。 このお観音様は、室町時代の作で、綾瀬市でも最古の仏像と考えられます。 平成25年に観音堂は焼失しましたが。本尊お観音様は本堂に安置お祀りしておりましたのでご無事でした。 |
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